国際マスターズ
(International Masters Athletics Federation, IMAF)に関する経緯

1977年 スウェーデンの第2回世界選手権(スウェーデン)に出場 
1977年  和歌山マスターズ連盟を設立 
1978年 西日本マスターズ陸上競技大会を開催
1980年 日本マスターズ陸上競技連合を設立
1989年 国際・全日本マスターズ第10回大会を開催(11か国から1200名以上参加)                                    
2012年 国際マスターズ競技連合(IMAF)を設立 
 
 

第4回アジア大会(1986年 7月26日〜27日/於ジャカルタ市)

  94個のメダル獲得。参加は、11ヵ国約550人の堂々の行進であった。
 男子100m予選【М35】田中さん(長崎)、貝原さん(長崎)等期待の若手選手が、それぞれ11秒 2 //11秒 1   で、軽くテープを切った後【М35】の冷田さん(和歌山)が圧倒的強さで、金その後次々と金を獲得し日本選手   の独壇場である。

第5回アジア大会
 「第5回アジアベテランズ陸上競技大会」が1988年12月3 -5日、台湾の台南市総合陸上競技場に11ヵ国から763人が参加して行なわれた。スローガンは「運動一生、常保青春(KEEPING EXERCISE KEEPING YOUNG)」であった。わが国はホスト役台湾の259人に次ぐ188人の選 手団が参加。金、銀、銅合わせて246個のメダルを獲得、 2 位台湾の192個をぐんと引き離した。 3 日間の競技期間中は澄みきった青空に恵まれ、気温も18〜22度と日本の初夏の気候で過ごしやすく、「アジアは 一つ」の旗の下に多くの競技が行われた。

 

第10回世界大会が宮崎で開催1993/10/7〜10/17)

史上最高最大の宮崎大会各方面から絶賛される。概要を要約した。
①   1989年 WMA 総会での日本開催機運が高まった。
②   同年10回記念国際・全日本マの大成功とアル・シーハン(WMA 機関紙編集長)の招待
③   1990年 AMA(アジアマスターズ役員)招待し、知事も同席し全会一致同意を得た。
④   同年、誘致団が北欧を訪問(松形宮崎県知事、南部忠平日本マスターズ名誉顧問等10数人)。途中オランダのアムステルダム競技場に立ち寄る。織田幹雄初代マスターズ会長が三段跳に優勝し、日本人初の五輪金メダリストになった場所。
⑤   大会誘致を成功させた陰の立役者は佐藤孝一氏(宮崎マ)。世界大会の宮崎への誘致に、大阪に。基盤が弱い宮崎では無理と言われたが、宮崎県の理解と県職員と共に再度来阪し実現。
⑥   宮崎県あげて、国体並みの人事体制を得て、第 2 競技場まで新設して成功させ、宮崎は世界一。
⑦   日本マも体制を強化し、大会本部を和歌山に置く。海外の五輪有名選手や国内五輪有名選手、タレントの参加も促し、選手の強化と参加促進に全力投球した。
⑧   マラソン競技は、会員に加え臨時登録者も可能としたところ、希望者が殺到しやむえず制限した。
⑨   開会前日に平和台公園塔前広場での前夜祭は圧巻で、採火式や古式豊かな宮崎伝統芸能が披露。
⑩    秋篠宮ご夫妻ご臨席のもと、秋晴れ超満員の競技場で、開会式を挙行した。数々の演技や郷土芸能の後、五100mの覇者アシュ ホード(米)、マラソンの覇者ショーター(米)が点火して競技が開始。多くの競技種目が円滑に行われた。
 閉会式では、思いがけず鴻池コールがおき、県の要望により、十八番の青い山脈を皆で合唱し、ダンスも交  え、別れを惜しむことに。参加者にとってこの想い出は生涯忘れないであろう。

 

第4回世界ベテランズロード選手権(明石海峡大橋/1998)
 第4回大会が、明石海峡大橋完成記念/朝日新聞創刊 120周年記念、阪神・淡路大震災復興支援レースとして、1998年 3 月28〜29日 に明石海峡大橋周辺で開催された。世界一の吊り橋(3911m)を走って渡りたいと世界18ヵ国地域より 17,000余人が参加した。
 君原健二さんも招待され、「世界最長の橋を走る味わいはまた 格別。その上で大勢の皆さんと出会い感激も新たです。」と。有森裕子さんは五輪銀メダリストと あって人気抜群で、「マスターズのレースに年齢資格のない私が出るのはどうかな、と思いましたがベテランパワーは凄いですね。いい気分転換になりました。」と。
 
朝日新聞社や日本陸連などのお陰で何とか成功裡に終了できたことは幸運で ある。仲間がよく耐え、 よく頑張っていただき、天候に恵まれて閉幕出来 たことは、誠に有り難く、関係各位に深謝致します。 なお、今大会で獲得した金メダルは計74個に達した。 男子:個人18、団体23、女子:個人15、団体23、合計74であった。

 

第10回アジア大会(沖縄市/1998.10.14-18)
 第10回アジア記念大会は15ヵ国地域より史上最高の2500余人が参加した。第19回全日本マスターズ陸上競技選手権大会と兼ねた大会でもあり、日本からは1931人と最大の選手団である。
 沖縄県立武道館アリーナ棟で行われた開会式。アジア大会初の屋内開会式であり、大田昌秀県知事が歓迎の挨拶を行い、参加選手が力強い入場行進した。競技は15日より4日間、県営総合運営公園陸上競技場を中心に開催された。世界新 2 、日本新41を含む多くの金メダルを獲得し、ホスト国日本の面目を保った。
 1993年、宮崎における第10回記念世界大会、今回の第10回記念アジア大会の成功は日本マスターズ陸上競技連合にとって大きな財産となり、アジア・世界への生涯スポーツへの振興に寄与していくだろう。

 

ゴールドマスターズ五輪の実現を目指して(抜粋/2007・アジア・マスターズ会長鴻池清司)
 2007国際ゴールドマスターズ陸上競技選手権大会を開催いたしましたところ、10ヵ国地域よ り約600余名の参加を得て盛大に開催できたことは、主催者として大変うれしく喜びに耐えません。
 わが国は大人の70%がスポーツ好きというものの、 週 2 回以上体を動かす人は10%に過ぎず、オース トラリアやニュージーランドの50%、アメリカや カナダの30〜40%に大きく見劣りします。「仕事 が忙しい」といった生活環境が大きいと思われますが、欧米諸国に比べ、日本はスポーツ政策が乏 しいのではないでしょうか。オーストラリアでは、スポーツ人口が10%増すごとに心臓疾患や腰を病める人が 5 %ずつ減るとの政府試算が発表されて います。
 スポーツとりわけ陸上を通し、参加者の皆様が心身の維持、向上を目指し、いつまでも健康で元気な楽しい社会を実現しようでは ありませんか。そして近い将来、この大会を機に、 陸上他多種目が同時開催するゴールドマスターズ五輪の実現を目指しましょう。このことが若人には夢を、マスターズには希望と生きがいをもたらし、活力ある明るい社会の実現に多少なりとも寄与できると確信しています。